現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

小商いとヴァンダナ・シヴァと辻信一氏の話


終日、畦畔の草刈り。
午前中は陽も射したが、全体的に曇り空で風もそこそこ吹いて、草刈り日和。
と思っていたら、夕方には、激しい雨。30分ほどだったが、ビックリするような降り方。雹もふったようだ。


先日、田んぼの用水路に水をのせるために、川の堰を上げておいたのだが、こういう激しい雨のときには、堰を上げたままだと、すぐに水かさがあがって、用水路があふれたりするので、堰をあげた人が、すぐに下げないといけないのだ、と教えてもらう。また地域の中を流れる川も用水のバルブの開け閉めの加減をして、川があふれないようにしないといけない、とも。いままで、気がついていなかったが、あれこれ、していただいていたのだな。これからは僕も気を付けないといけない。

6月2日付の日本農業新聞内田樹氏が文章を寄せていた。


=======================================================

「地方回帰」の兆しが見られる。私の知り合いの中にも、都会を離れ、家族とともに里山に移り住んだ人が何人かいる。彼らのたたずまいはどことなく「帰りなんいざ、田園まさに蕪れるなんとす」という陶淵明の詩境を思わせる。
1970年代に全共闘運動が壊滅した後も、敗残の若者たちにとって「自然に還ろう」と言うスローガンは身にしみるものだった。有機農業やニューエイジマクロビオティックや瞑想のトレンドは私たちの世代にとっては親しみ深いものだが、その当時の「自然に還ろう」には残念ながら「自然」がいささか希薄だった。それは絶頂期を迎えつつあった高度資本主義社会に対する若者たちからの異議申し立てであり、その限りで、頭で考えだした解であった。
現在の「帰農」の流れはそれとは随分手触りが違う。都会で賃労働をするか、里山で農業をするか、どちらを選ぶこともできるという職業選択の自由を行使した上での決定と言うよりはむしろ「もう都会では暮らせない」という切迫感に駆られてのことのように思われるからである。「選んだ」と言うよりは、土や森との触れ合いを欲している身体的欲求に「抗しきれず」に、都会を去ったように見えるからである。
この趨勢を加速したのは第一には都市部での雇用条件の劇的な劣化である。就職情報産業と財界と大学が足並みをそろえ進めてきたグローバル人材育成路線というのは、平たく言えば「できるだけ大量の互換可能な求職者を限定的な雇用先に集中させることによって、能力の高い労働者を低賃金で雇用する」仕掛けであった。それによって企業は人件費コストの削減を実現して、大きな収益をあげた。けれども、労働者を収奪し過ぎたせいで、若者たちはついに都市部で賃労働する以外の選択肢も真剣に考えざるを得なくなった。
農業が魅力的な選択肢となって前景化したのは、都市部の賃労働では文字通り「食えない」ようになりつつあることの結果である。
政財官界は当然ながらこのような趨勢を喜んでいない。人口と資本と雇用の首都への一極集中と農業の企業化がグローバル化の最適解であると彼らは信じているからである。そうである以上、これから先、地方での雇用創出と地産地消、自給自足を目指す帰農者達の「小商い」的な経済活動に対しては有形無形の圧力が予想される。
金儲けのためではなく、よく生きるために農業を選んだ人々をグローバリストの干渉からどうやって守り、支援できるのか、そのことを真剣に考えるべき時が来ている。
=======================================================



この場合の「小商い」とは、まさに辻井農園のお米のインターネット通販そのものではないか、とハタと思い当たった次第。「小商い」って言われて、そうか、うちのネット販売は小商いだったんだ、と。いいねぇ、小商い。



辻信一氏は川口由一の本の中で知った文化人類学者なんですが、まだ本は読んだことがありません。ただ、たまには、こういう話をされている姿を見つつ話を聴くのもいいものです。ヴァンダナ・シヴァドキュメンタリー映画を撮られたのですね。
映画は予告編だけしか観ていないのですが、ヴァンダナ・シヴァさんの言葉が、百姓としては、しみじみ身にしみます。
検索していたら、この講演会の動画をみつけました。一週間ばかり前の講演会というか、対談の動画でした。いろいろ示唆に富む、いい話、というかおもしろいお話でした。
原発と遺伝子組換問題のあれこれなど、一週間前の講演で、今の問題だから楽しめます(笑)。
誰かが、どこかが、水を独占する。空気を独占する。種(たね)を独占する。確かにあってはならぬことですわな。またお時間のある時に是非。