今日から八月。
梅雨が明けたはいいが、暑かったぜ。朝飯前から仕事。残っていたミネラル肥料を穂が出てきて揃いかけている「コシヒカリ」に散布。農協へ出荷分だが手間と時間と汗とお金をかけて、食味向上に効果があるんじゃないかと、思っている。ま、おまじないみたいなものかもしれないが。それから有機肥料が少し残っていたので、これも有機栽培の大豆の圃場にまく。もう少し土が乾いたら土寄せをするので、その前にまいておきたかったのだ。ちょうど朝のうちは風がピクリとも吹かず、動力散布機でまくには気を使わずに済んで楽でした。
午後は少し風が吹いてありがたかったが、畦畔の草刈り。無農薬「コシヒカリ」の畦畔で特に畔際にコナギもオモダカもクサネムもあれやこれや生えてきているが、どんどん刈払機で刈り倒していきました。またしても大汗をかく。
夕刻、冷たいビールをプシュッとしたときのうまさったら。
今朝は日本農業新聞のコラムを読んで、思わずウルウルしてしまった。
もちろん、伊藤敬子さんにも、宮坂静生氏にも面識はない。僕は昔、山登りにはまっていた時期があるので、上高地や横尾という地名や梓川という名前にもすこしなじみがある。伊藤敬子さんの句はいい句だとは思いますが、びっくりするような句ではない。でも上高地から徳沢、横尾というあたりを歩いている高揚した気分が出ています。でもウルウルしてしまったのは、最後の宮坂氏の「頑張り屋であった。」という言葉。そういえば最近はあまり「頑張り屋」という言葉を聞かなくなりました。「照れ屋」という言葉はたまに聞きますが。自分が死んだとき、誰かから「頑張り屋であった。」と言葉をおくられる人の人生に、あらためて敬意を表したい気持ちにさせられました。
セオドア・メルフィ監督『ヴィンセントが教えてくれたこと』(2015)を観る。楽しめたけれど、いい話だけれど、どうも脚本がよくないのか、いささか臭みがありますな(笑)。主人公のヴィンセントはビル・マーレイがやっています。彼の奥さんは八年前からどうやらアルツハイマーの認知症で彼のことがわからなくなって施設に預けているのですが、きちんと面会に行き話をして、洗濯物を預かって洗濯してもっていくという生活をしています。その奥さんが亡くなった時、それを知った世話をされている少年がが「お気の毒に、お悔やみを」と声をかけたのに対して「なぜみんなそう言うんだ。どんな人だった、とか、寂しいな、とか、これからどうする、とかあるだろう」と言う短いシーンがあって、このときすぐに朝のコラムで読んだ「頑張り屋であった。」という言葉を思い出したのでした。
このページの後ろのところに七年前の「隣の田んぼのお百姓にずいぶんとはげまされることと落水 - 現代田んぼ生活 辻井農園日記」というブログの記事を自動的にAIが関連記事を紹介してくれています。7年前なのですっかり忘れていて、何を励まされたのか、と読んでみたら、その時のことがありありと思い出されました。ま、頑張らねばなりません(笑)。